甘酒が気になる。


西友にも、ツルヤ(長野県民が全幅の信頼を寄せているご当地スーパー)にも、甘酒が売っていることは知っていたが、今まで手に取ってみたことすらなかった。しかし何故だろう、最低気温マイナス2桁という寒さがそうさせたのだろうか、私はふとメロディアンの1000ml入り甘酒の紙パックを手に取り、買い物カゴに入れ、レジへと向かっていた。



そのとき私の脳のスクリーンに、古い記憶がなだれ込んできた。あれはためしてガッテンだっただろうか所さんの目がテンだっただろうか、あるいは今は亡き発掘あるある大辞典だったかもしれない。甘酒が疲労回復に効くという特集をやっていた。

果たして甘酒は疲労回復に効果があるのか?その検証方法は、地方在住のオバサマ達をバスに乗せて東京の繁華街へと連れ出し、1日中みっちり遊ばせ、さらに夜遊びもさせて、眠る前に甘酒を飲んだオバサマと飲んでいないオバサマの疲労度を比べるといった、非常にファンキーなものであった。結果、甘酒を飲んだオバサマ達の方が疲労度は少なかったと記憶している。

疲れ。そうか、疲れているのかもしれない。それが甘酒一つで癒されるのであれば安いものである。大義名分を手に入れた私は、自宅に戻り、普段コーヒーやホットミルクを飲んでいるマグカップに甘酒を注いだ。

メロディアンの甘酒は、それはそれで一つの甘酒の形なのだろうとは思う。だがしかし、甘くサラサラとして、どこかカルピスを思わせる飲みくちのそれは、私が求めている甘酒とは異なるものであった。ごめんメロディアン。でもメロディアンが悪いわけじゃないから。これは私の問題だから。気にしないで。

結局、メロディアンの甘酒は、豆乳や牛乳で割って美味しくいただいた。だが、私の中には理想の甘酒を求める熱い気持ちが残った。面倒なことになってしまった、と私は思った。ほんの気まぐれで買った甘酒のせいで、甘酒欲に火がついてしまったのだ。

私が求めている理想の甘酒は、甘さは控えめで、もっと粒が残っていてドロドロとした、そう、生命の始まりを思わせるカオスのような質感の甘酒だ。過去にそんな甘酒を飲んだことがあるのかすらもわからないが、脳と舌を繋ぐ場所に、そのイメージが居座っていて離れないのである。

「あそこになら、あるかもしれない」そんな期待を胸に向かったツルヤで私を待ち構えていたのは、ツルヤオリジナルの甘酒。信頼のツルヤブランド。そして、瓶の中に見えるたくさんの粒が期待を更に煽る。



が、この甘酒もまた、私が求めているものとは違ったのである。甘さはメロディアンよりも控えめで粒もたくさんあったのだが、サラサラの液体に粒がたくさん入っている状態で、ドロドロカオスな中間地点が無いのである。しつこいようだが、これはこれで甘酒の一つの形であって、私の理想とは違うという、ただそれだけの話である。

惜しい。これをハンドミキサー等で少し潰せば、理想の状態に近づくのかもしれない。しかしそれは、ツルヤへの冒涜なのではないだろうか。私とてツルヤが憎いわけではない。ツルヤの想いはツルヤの想いとして尊重しようではないか。

そんなこんなで、私の甘酒欲は満たされていないのである。暖かくなったら店舗での取扱いがなくなってしまうかもしれないという危機感が、更に欲を濃くしているような気がする。

ああ、どうしよう。自作かな、めんどくさいな。お金がかかるのも嫌だな。お手頃価格で、甘さ控えめで、粒が残っていてドロドロ感のある甘酒をご存知の方、お教えいただけると幸いである。

そして、そんなこんなで甘酒だけで1500文字近く書いてしまった。自分のブログっていいな。字数制限がなくて。


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